
突然の病気で手足を切断した男性が岡山市にいます。今までの生活が一変し、義手と義足での生活を余儀なくされましたが10月、ある大きな挑戦の日を迎えます。
安原大策さん、39歳。現在、主に義手と義足で生活をしています。会社員としての日々を送っていた2025年4月ーー。
(安原大策さん)
「ゴールデンウィークの前の日だったんですけど、仕事から帰ってきて、晩ごはんを食べようと思ったら食べられないぐらい体調がしんどくて。次の日の朝起きたら熱が40℃ぐらい出ていた。夜の7時ぐらいですかね。妻が私の部屋に様子を見に来た時に『顔が紫になってる』と」
安原さんは「電撃性紫斑病」と診断。「電撃性紫斑病」は急激に皮膚の出血性壊死が進行し時に死に至る重い病です。致死率は40%との報告もあり、命を取り留めても四肢切断などの重度の障害を負うケースもまれではありません。
安原さんも四肢の壊死の進行を防ぐため、2025年5月に左の前腕と右の上腕、その後、1カ月足らずで両方の足を切断しました。
(安原さん)
「『早く(手を)切断しないと壊死が進んでしまう』という話を聞いた次の日から自分がすごくベッドの上で暴れたりとか、人をにらみつけたりとか怒っている様子だったらしいんです。だから相当、ショックを受けたんだろうなと、今思いますね」
岡山県吉備中央町の病院でのリハビリを経て、9月からは仕事にも復帰している安原さん。
まもなく大きな挑戦の日がやってきます。
(安原さん)
「岡山吉備高原ふれあいロードレース大会のエントリー確認証」
10月11日に岡山県吉備中央町で開かれる「岡山吉備高原車いすふれあいロードレース大会」。
安原さんはこの大会にエントリーしました。出場するのは車いす部門ではなく一般の10kmのランの部門です。
(安原さんを担当する理学療法士/関戸敦史さん)
「その場で立っておくというだけでもすごく難しいはずなんですけど」
(安原さん)
「結構難しいです。つま先立ちをずっとしているような。つま先立ちでトランポリンを跳んでいるような感覚に近い」
(安原さん)
「(走れることは)めちゃくちゃうれしいですね、希望はあったんですけど、本当に走れると思っていなかったので、めちゃくちゃうれしいですね」
(安原さん)
「ここに来る前から、当時岡山大学のEICU(救急集中治療室)にいたんですけど、その時に兄から『これからたくさんつらいことがあると思うけど、何か目標を持って生きていくといいんじゃないか』という話を聞いて、じゃあもともとランニングとかマラソンとかは趣味でやっていたので、フルマラソンを完走できれば、当時の自分を超えられるんじゃないかという思いもあって走ろうと決めた」
スポーツ用の義足を使い本番前最後の練習では10kmを走り切ったという安原さん。
リハビリは膝立ちで歩くことから始まりました。
(安原さん)
「始めは膝立ちになった瞬間は全くバランスが取れませんでした。膝立ちできるようになったのが、入院して4カ月とか。それまではずっと車いすに座っての生活だったので。ベッドで膝立ちするっていうのは立ったぐらいの視線で見えていたので、視線がすごく懐かしくてうれしかったのを覚えています」
一日3000歩歩けないと義足での生活は難しいと言われたそうですが、安原さんは毎日5000歩以上歩いたそうです。
義手でのリハビリでは……。
(安原さんを担当する作業療法士/柳田麻優香さん)
「義手は自分で着けられて自分で外せないと自分でできることにならないので、装着練習を何回もしました」
(安原さん)
「一日中ベッドの上でどうやったら装着できるかなって、これをにらみつけながら考えて」
(吉備高原医療リハビリテーションセンター/古澤一成 院長)
「リハビリの訓練以外にもその合間の時間も常に廊下やリハビリの部屋で自主トレもしていました。命を取り留めてもこういうふうにリハビリができて、歩いたり走ったりする方というのは非常にまれだと思います」
一つずつできることを増やしていった安原さん。週3回のリモートワークに加え、週に2回は香川県多度津町にある会社へ車を運転して通勤しています。
(安原さん)
「もともと性格が難しいことにチャレンジして、できた時の達成感を感じることがやりがいというか生きがいになっているところがあって」
一緒にリハビリに取り組んだスタッフとともに挑む日まであとわずか。この病院がゴール地点です。
(安原さん)
「本当に多くの方の支えがあって、今走れるところまで来られたという思いがありますので、この病院の周りを走るマラソン大会に出場することで退院後も強く生きているんだという姿を見せることが恩返しの一つになるかなと思った。絶対完走します」